★小野田 寛郎 Hiroo Onoda ・ 舩坂 弘小野田 寛郎の言葉 私は戦場での30年、生きる意味を真剣に考えた。 戦前人々は、命を惜しむなと教えられ死を覚悟して生きてきた。 戦後日本人は何かを命がけでやるということを否定してしまった。 覚悟をしないで生きられる時代はいい時代である。 だが死を意識しないことで日本人は生きることをおろそかにしてしまってはいないだろうか。 以下はウィキペディア「小野田 寛郎」のエピソードより抜粋 戦時中に自身が体験した人間が持つ潜在的な能力にも触れている。本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになったという。「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました。そうなると、はるか先にいる敵兵の動きも手に取るように分かります。それこそ、相手が射撃をする直前にサッと身をかわして銃弾を避けることさえできると思いました」 。命を賭ける場面が、命を賭けなくても大丈夫だという自信に変わった瞬間だったという。 また『月刊秘伝』2004年7月号でのインタビューでは「直進する物は物理的に見えるんですよ。(中略)真っ直ぐ自分のほうに伸びてくるんだから見えます。(中略)撃たれたときは、火を噴いている銃口から見えた。(中略)相手の突きを避けられるのだから避けられますよ。」と語っている。自身の著書である『小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争』でも、銃弾は飛んでくるとき蒼白い閃光を放つから、それを避ければいいと語っている。 ■SYND 13-3-74 SOLDIER RETURNS TO TOKYO AFTER 30 YEARS OF HIDING IN PHILIPPINES ■小野田寛郎の名言 *********** 舩坂 弘(ふなさか ひろし)というスーパー日本兵がいた。 階級軍曹。 剣道の達人。 パラオ諸島アンガウル島に派遣され上陸してきた米軍を擲弾筒および臼砲にて200人以上殺傷したといわれる。 部隊が壊滅してもゲリラ戦を続け白兵戦で多くの米兵を殺傷し鬼神の如く戦った。 重症を負いながらも米軍司令部に突入しようとして撃たれて死亡したと思われたが蘇生し、捕虜となるが脱走、再び捕虜となり奇跡的な生還をしている。 生きている英霊、不死身の分隊長。 戦史叢書(防衛研修所戦史室 編纂、現在の防衛省防衛研究所)に個人の戦闘記録としては唯一記載されている人物。 ■1人で200名以上のアメリカ兵を葬った最強の日本兵 舩坂弘 撃たれても死なない不死身の分隊長/最終兵器俺 *余談だが、私の祖父は栃木県上都賀郡西方村の出身で、舩坂 弘と同じ西方村の出身になる。 祖父が残してくれた農地が祖父が亡くなった後も長く放置されていて、十年ほど前に私が相続した。現在その土地に小規模太陽光発電所を運営している。 この発電所の管理に西方町に行く度に舩坂 弘のことを思い出す。 ■太陽光発電西方発電所 TOPヘ |